「証し」

  • 彷徨する人間像から神を賛美する絵画へ

 少年時代に水彩連盟展という大人の美術団体展に入選してから、絵画制作が生きる目標となっていました。将来一流の美術団体展に認められて画家としての地位を確立するという夢を追っていました。

そして、美術館の真っ白な壁面に自分の大作が展示され、多くの人々が鑑賞してくださるという夢が少しずつ実現していきました。

20代の後半に、キリスト教徒の女性と出会い、交際するようになり、導かれるまゝに教会や牧師宅に足を運んだのが、キリスト教の出会いでした。1967年に尾山令仁牧師の司式により結婚しました。

 しかし、全知全能の神が存在し、この現実の全てが神の支配下にあると言う事を信じることができないままでした。
ただ、教会は自己中心的で強烈な自我を和らげてくれる不思議な場所であり、信徒の方々にも爽やかさを感じていました。その後現実の創作活動や画壇の人間関係に強く興味を持ち、教会に足を向けなくなり、信仰の道から遠ざかってしまいました。
 それから15年余りが経過して、ある日、妻が教会から借りてきた説教のテープを何となく聴いていた時、強く心惹かれるようになり絵画制作中のBGMのようにして聴き始めました。時同じくして、尾山令仁牧師先生の現代訳聖書が刊行され、聖書の世界に引き込まれるようになり、1ヶ月ぐらいで全部読んでしまいました。重厚な絵画を鑑賞している感覚でしたが・・・。その事をきっかけに再び教会に通い始め。キリストの十字架の死、復活。そして永遠の命の意味が自分のこととして理解でき、聖霊の導きを感じて、1985年のイースターに受洗しました。

 受洗前の絵画のテーマは、暗い空間に浮遊し彷徨っている人間像でした。空虚さをテーマにした作品でしたが、受洗後は聖書取材画が大きなテーマとなり、神への賛美歌画へと導かれています。


 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなりました。」

(コリント人への手紙第2 5章17節)

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